5・15平和行進に参加してきました
5・15平和行進には、特別な用事がない限りは参加するようにしています。
今年、宮古島市の5・15平和行進は5月14日(土)午後1時30分下地庁舎前の池原コミュニティー広場で出発式が行われ、午後2時頃に行進を開始、平良庁舎前までの約8・5㎞を参加者ほぼ全員が踏破しました。行進に入る前から小雨が降り出し、途中やんだものの肌寒い一日でした。私の知る限り、下地地区からの出発は初めてです。途中、松が原ゴルフ場の駐車場で休息をとりながら終点、平良庁舎前についたのが午後4時過ぎ。その後降り出した雨の中、「5・15平和と暮らしを守る宮古郡民大会」に切り替え、下地島の軍事利用反対、陸上自衛隊の宮古島への配備反対、普天間飛行場の即時閉鎖、平和な宮古島をめざそうなどを訴え、大会決議文を採択して閉会しました。参加者はどのくらいでしょうか。私には200名程に見えました。
ところで、マスコミは依然、沖縄の米軍基地を派生源とするさまざまな事件・事故を伝えています。今日、5月14日の県紙の報道は、たとえば沖縄市で4月29日に起きた米国少年数人による路上強盗事件について、県警はうち2名をちかく逮捕すると報道しています。この事件に関しては県警による少年たちへの事情聴取を米軍側がなかなか許可せず、地元マスコミが連日のようにとりあげていました。
1月に沖縄の勤労青年を酒酔い運転で死亡せしめた米軍属男性の事件。米軍属男性は帰宅途中でしだが、帰宅途中は公務中にあたるということで、米軍が下した処分は「5年間の運転禁止処分」のみで不起訴です。暗澹たる思いが消えません。私たち沖縄の人の生命は鴻毛より軽し、でしょうか。
米上院軍事委員会のレビン委員長らが、米軍普天間飛行場の辺野古への移設は無理だとして、嘉手納基地への統合案を提起していることもつい2・3日前に報道され、その波紋が大きくひろがっています。嘉手納基地周辺の人々は特に激しい怒りを表明しています。他国に自国の軍隊を半世紀以上も置きつづけることを当然と考えている(その地域の人々は激しい怒りをもって反対しているにもかかわらず)ことに驚きを禁じ得ません。これが米国の民主主義なのでしょうか。そして沖縄は米国や日本の属領とでもいうのでしょうか。同時に日本政府と米国がともにはかって、あくまで沖縄に米軍基地を押しつけ、閉じこめておこうという意図のあらわれだと思えます。
時期を同じくして、5月3日から4日には北沢俊美防衛相が来沖して宮古まで乗り込み、辺野古移設への協力依頼や陸自配備の前触れをして回り、前原誠司前外相は5月15日から3日間の日程で沖縄を訪問し、稲嶺進名護市長らと面談すると伝えられます。この政治家らの相次ぐ来県と嘉手納統合案提出は、いっこうに進まぬ普天間問題等への日米両政府のあせりといらだちでしょう。
普天間基地問題は今が正念場だと思います。今が我慢のしどころでしょう。沖縄がブレずにしっかりと普天間基地の即時閉鎖、県外、国外移設を堅持しつづければ必ずや県民にとって事態は好転する、私はそう思います。
今日は以上のようなことを考えながら行進に参加してきました。
今年、宮古島市の5・15平和行進は5月14日(土)午後1時30分下地庁舎前の池原コミュニティー広場で出発式が行われ、午後2時頃に行進を開始、平良庁舎前までの約8・5㎞を参加者ほぼ全員が踏破しました。行進に入る前から小雨が降り出し、途中やんだものの肌寒い一日でした。私の知る限り、下地地区からの出発は初めてです。途中、松が原ゴルフ場の駐車場で休息をとりながら終点、平良庁舎前についたのが午後4時過ぎ。その後降り出した雨の中、「5・15平和と暮らしを守る宮古郡民大会」に切り替え、下地島の軍事利用反対、陸上自衛隊の宮古島への配備反対、普天間飛行場の即時閉鎖、平和な宮古島をめざそうなどを訴え、大会決議文を採択して閉会しました。参加者はどのくらいでしょうか。私には200名程に見えました。
ところで、マスコミは依然、沖縄の米軍基地を派生源とするさまざまな事件・事故を伝えています。今日、5月14日の県紙の報道は、たとえば沖縄市で4月29日に起きた米国少年数人による路上強盗事件について、県警はうち2名をちかく逮捕すると報道しています。この事件に関しては県警による少年たちへの事情聴取を米軍側がなかなか許可せず、地元マスコミが連日のようにとりあげていました。
1月に沖縄の勤労青年を酒酔い運転で死亡せしめた米軍属男性の事件。米軍属男性は帰宅途中でしだが、帰宅途中は公務中にあたるということで、米軍が下した処分は「5年間の運転禁止処分」のみで不起訴です。暗澹たる思いが消えません。私たち沖縄の人の生命は鴻毛より軽し、でしょうか。
米上院軍事委員会のレビン委員長らが、米軍普天間飛行場の辺野古への移設は無理だとして、嘉手納基地への統合案を提起していることもつい2・3日前に報道され、その波紋が大きくひろがっています。嘉手納基地周辺の人々は特に激しい怒りを表明しています。他国に自国の軍隊を半世紀以上も置きつづけることを当然と考えている(その地域の人々は激しい怒りをもって反対しているにもかかわらず)ことに驚きを禁じ得ません。これが米国の民主主義なのでしょうか。そして沖縄は米国や日本の属領とでもいうのでしょうか。同時に日本政府と米国がともにはかって、あくまで沖縄に米軍基地を押しつけ、閉じこめておこうという意図のあらわれだと思えます。
時期を同じくして、5月3日から4日には北沢俊美防衛相が来沖して宮古まで乗り込み、辺野古移設への協力依頼や陸自配備の前触れをして回り、前原誠司前外相は5月15日から3日間の日程で沖縄を訪問し、稲嶺進名護市長らと面談すると伝えられます。この政治家らの相次ぐ来県と嘉手納統合案提出は、いっこうに進まぬ普天間問題等への日米両政府のあせりといらだちでしょう。
普天間基地問題は今が正念場だと思います。今が我慢のしどころでしょう。沖縄がブレずにしっかりと普天間基地の即時閉鎖、県外、国外移設を堅持しつづければ必ずや県民にとって事態は好転する、私はそう思います。
今日は以上のようなことを考えながら行進に参加してきました。
2011/05/14
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