市有地の売却(東平安名崎根元周辺)問題について
東平安名崎周辺を今後どういう姿で
残すべきなのか
私の住む宮古島市城辺の保良は、08年(平成20)現在、人口390人、世帯数190、うち農家戸数が110戸程度の純農村型集落です。栽培作物はさとうきびを中心に、畜産との複合経営が焼く20戸、その他に葉タバコ、カボチャ等、近年ようやくマンゴー栽培農家があらわれました。漁業もありますが漁で生計を立てている世帯はありません。
農家にしても約半数は兼業農家で、典型的な少子・高齢化・過疎化のやまない村というのはそのとおりです。宮古島の東南端に位置することから豊かな自然と景観には恵まれていますが反面、農業等にたいする条件はきびしいものがあります。
この保良集落を含む福嶺学校区(5集落で構成)が宮古本島内においては中心市街地から、もっとも遠隔に所在することと、先ほどの少子・高齢化・過疎化のはげしさは間違いなく対の関係にあるだろうと思います。産業・文化の中心地から遠く隔たれば隔たれるほど賑わいや華やかさとは縁遠く、圧倒的に自然のいとなみが息づく壮大な空間にいきつくのは普通にあることです。
ただ一定程度の賑わいが村にも欲しいということなどもあって中途半端に街の造形や建造物をまねたり、移設じみたことを行うのは慎みたいものです。街はその性格状、経済・産業等の発達を背景に効率や機能性等を重視して形成されている空間ですから、田舎の村落や空間がそれをまねることが必要だとは思えません。言い加えれば田舎は徹底して田舎暮らしを追求するというか、都市のもち得ない風景や景観にこだわるという方がはるかに人々の共感を呼ぶものと思われます。それがやすらぎであるとか、癒しでありとか言われる空間の形容ではないでしょうか。そのような空間の維持や創出が過疎地には特に必要なのではという思いがします。間違っても街とも村ともつかぬ亜空間では魅力をもち得ないと思います。とすればもっとも遠隔の地である私達の地域は、もっとも非都市的空間、手つかずの自然、古層の村的な集落形成に意識的にこだわった方が良いのではないでしょうか。
東平安名崎(岬)根元一帯の市有地売却処分(07年・H19・6月、約19ha、2億円)は国が名勝指定をした岬のつけ根一帯の緑地や海浜ということが保良の人々の怒りを買いました。保良湧水の下流にプールやパーラーを建設したことで海への出入の自由度が制限されていると感じた人々がマイバーの海に対して敏感に反応したこともあります。
緑にかこまれた湾状の海を地元の人々はマイバーと呼びます。この海はかつて魚湧くと言われるほど豊かなサンゴ礁の海でした。本土復帰の頃からの建築ブームで砂浜後背地に丘状に推積した砂を採りつくされ、現在のような無残な姿をさらすにいたっています。その後の公共工事等による赤土流出は湾内のサンゴ群を壊滅状態にしました。ビーチロックの出現も、石塊ゴロゴロの浜辺も、瀕死の海もすべては人災によるもので、今もなお痛々しい姿を私たちに見せているのです。昔日、交易船がやってきたという豊かで美しい面影は求めようもありません。それでも昔のマイバーを記憶している地元の人々の愛着は今も変わりません。それに潜ってみればわかることですが、湾内は沖合いから浜に向けて徐々にサンゴの回復がみられます。ゆっくりとです。
売却された緑地がリゾート化されると、どういうことになるでしょうか。おそらく海浜型リゾートということになるでしょう。マイバー海岸の全部とはいかないにしても海浜の囲いこみは間違いなくおきるでしょう。近隣住民の海や浜であったはずのマイバーはやがて見知らぬ人々が憩う場所となります。灯台や岬をのぞむ眺望はもちろん一変するでしょう。地元のごくわずかの人々の雇用とひきかえに。いったん企業へ放出してしまった土地はもうとり返しがつきません。その意味で行政の浅慮はただただ残念なのですが、この上は企業の開発の計画や行政の対応をしっかり見きわめる努力が必要です。同時に東平安名崎周辺を今後どういう姿で残すべきなのか、真剣な論議が求められます。
07年(平成19)6月に私たちは市有地売却について広汎な人々の後押しを受けて売却反対行動を行いました。市議会の賛成多数による議決(07年、平成19年6月4日)に無念の想いをしましたが、しかしそれでも開発反対の情熱(緑地を守れ、住民の海マイバーを守れ、景観を守れ)が失われることはありません。これまでの間、宮古島は勿論、県内外からも多くの方々のあたたかい支援をいただきました。たいへんありがたく遅ればせながら心よりの感謝を申し上げます。この問題は未だ決着しておりません。現在はほんの一瞬沈静化している状況に他なりません(不況下ということもあって)。従って私たちは現在も尚、深い関心をもって見守りつづけています。
農家にしても約半数は兼業農家で、典型的な少子・高齢化・過疎化のやまない村というのはそのとおりです。宮古島の東南端に位置することから豊かな自然と景観には恵まれていますが反面、農業等にたいする条件はきびしいものがあります。
この保良集落を含む福嶺学校区(5集落で構成)が宮古本島内においては中心市街地から、もっとも遠隔に所在することと、先ほどの少子・高齢化・過疎化のはげしさは間違いなく対の関係にあるだろうと思います。産業・文化の中心地から遠く隔たれば隔たれるほど賑わいや華やかさとは縁遠く、圧倒的に自然のいとなみが息づく壮大な空間にいきつくのは普通にあることです。
ただ一定程度の賑わいが村にも欲しいということなどもあって中途半端に街の造形や建造物をまねたり、移設じみたことを行うのは慎みたいものです。街はその性格状、経済・産業等の発達を背景に効率や機能性等を重視して形成されている空間ですから、田舎の村落や空間がそれをまねることが必要だとは思えません。言い加えれば田舎は徹底して田舎暮らしを追求するというか、都市のもち得ない風景や景観にこだわるという方がはるかに人々の共感を呼ぶものと思われます。それがやすらぎであるとか、癒しでありとか言われる空間の形容ではないでしょうか。そのような空間の維持や創出が過疎地には特に必要なのではという思いがします。間違っても街とも村ともつかぬ亜空間では魅力をもち得ないと思います。とすればもっとも遠隔の地である私達の地域は、もっとも非都市的空間、手つかずの自然、古層の村的な集落形成に意識的にこだわった方が良いのではないでしょうか。
東平安名崎(岬)根元一帯の市有地売却処分(07年・H19・6月、約19ha、2億円)は国が名勝指定をした岬のつけ根一帯の緑地や海浜ということが保良の人々の怒りを買いました。保良湧水の下流にプールやパーラーを建設したことで海への出入の自由度が制限されていると感じた人々がマイバーの海に対して敏感に反応したこともあります。
緑にかこまれた湾状の海を地元の人々はマイバーと呼びます。この海はかつて魚湧くと言われるほど豊かなサンゴ礁の海でした。本土復帰の頃からの建築ブームで砂浜後背地に丘状に推積した砂を採りつくされ、現在のような無残な姿をさらすにいたっています。その後の公共工事等による赤土流出は湾内のサンゴ群を壊滅状態にしました。ビーチロックの出現も、石塊ゴロゴロの浜辺も、瀕死の海もすべては人災によるもので、今もなお痛々しい姿を私たちに見せているのです。昔日、交易船がやってきたという豊かで美しい面影は求めようもありません。それでも昔のマイバーを記憶している地元の人々の愛着は今も変わりません。それに潜ってみればわかることですが、湾内は沖合いから浜に向けて徐々にサンゴの回復がみられます。ゆっくりとです。
売却された緑地がリゾート化されると、どういうことになるでしょうか。おそらく海浜型リゾートということになるでしょう。マイバー海岸の全部とはいかないにしても海浜の囲いこみは間違いなくおきるでしょう。近隣住民の海や浜であったはずのマイバーはやがて見知らぬ人々が憩う場所となります。灯台や岬をのぞむ眺望はもちろん一変するでしょう。地元のごくわずかの人々の雇用とひきかえに。いったん企業へ放出してしまった土地はもうとり返しがつきません。その意味で行政の浅慮はただただ残念なのですが、この上は企業の開発の計画や行政の対応をしっかり見きわめる努力が必要です。同時に東平安名崎周辺を今後どういう姿で残すべきなのか、真剣な論議が求められます。
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07年(平成19)6月に私たちは市有地売却について広汎な人々の後押しを受けて売却反対行動を行いました。市議会の賛成多数による議決(07年、平成19年6月4日)に無念の想いをしましたが、しかしそれでも開発反対の情熱(緑地を守れ、住民の海マイバーを守れ、景観を守れ)が失われることはありません。これまでの間、宮古島は勿論、県内外からも多くの方々のあたたかい支援をいただきました。たいへんありがたく遅ればせながら心よりの感謝を申し上げます。この問題は未だ決着しておりません。現在はほんの一瞬沈静化している状況に他なりません(不況下ということもあって)。従って私たちは現在も尚、深い関心をもって見守りつづけています。
2009/06/27
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