宮古島市 新市立図書館

~ハコモノのイメージをこえて~

 宮古島の地元新聞に、今6月市議会定例会中の一般質問要旨が掲載されており、興味深く読ませていただきました。そのなかに市の懸案である市立図書館の建設について、某議員の質問がありました。質問のなかに提言を織りまぜた発言といった方が正確かも知れません。要旨は、図書館などの「ハコモノ」建設については、現下の市財政ひっ迫を考慮し、拙速に新築や改築を行うのではなく、既存施設や遊休施設の有効活用等をまず検討すべきではないかという趣旨の発言だったと記憶しています。市当局も勿論、異論などあろう筈もなく、誠に無難かつ模範的な回答をされておりましたが、ただひとつ、これは私のひとりよがりとでも言い得る反応かも知れませんが、図書館施設を「ハコモノ」に分類する思考というか、手法に対して妙な違和感を覚えたことであります。

 「ハコモノ」はおそらく箱状の建築物のことで、一般的には屋根を有し、人々が利活用するための建築物のことだと思われます。従ってそのような意味あいでは劇場やホール、学校庁舎、病院、公営住宅、庁舎など、行政が公的資金(税金)を投入するなどしてできる建造物のことなのでしょう。とすれば、私立図書館も「ハコモノ」に間違いはないと思われます。

 それにしても「ハコモノ行政」などと言われ、ハード事業中心のイメージの悪さは何としたことでしょう。このことは巨費を投じて建造されたにもかかわらず、あまり活用されていなかったり、宝のもちぐされ状態というか、日々の維持費が財政を圧迫しつづけるのみで、あげくに廃墟と化したりというような「ハコモノ」を私たちがいくつも見せられているせいに違いありません。最近の例では展示内容ですら未だはっきりしない、仮称「国立メディア芸術総合センター」別称「アニメの殿堂」の拙速な予算化が批判されたりしています。不用不急の施設をいたずらに急いで造る愚かは避けるべきでしょう。

 ところで、図書館が多くの子どもたちにとって限りなくひろがる夢の宝庫であり、知的好奇心をかきたてる空間であるとともに、豊かな情操と感性をつちかう場所であることはよく知られたことであります。大人にあっても知的充足をかなえる場であり、人によっては至福の時間をもつことのできる場でもあります。利用する人々の教養を一層深め、人生をより豊かにする空間であろうと思います。世は既にITの時代でもあります。人々の多様化した知的ニーズに応え得る施設であることは論をまたないということでしょう。

 図書館や博物館を人類の歴史的な知の宝庫であり、未来に向けての開かれた施設として捉えきれるか、あるいは単に膨大な数の書や人類の遺物や遺品の収蔵所とのみ捉えるのかで新図書館構想の位置づけも変わってくると思われます。人によっては図書館など今以上に必要なのかと言い切るものもいたりして、ア然としたりします。ひとりよがりの反応ということになるのかも知れませんが、図書館施設をハコモノという観点で捉えるか、もしくは未来へつないでいく知の宝庫として捉えられるかは、あるいは私たちの民度を示すバロメーターであるかも知れません。

  

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