「屈辱の日」実行委 宮古毎日新聞社に抗議

宮古毎日新聞社 行雲流水 2013年4月27日 の内容に抗議します

「屈辱の日」実行委 宮古毎日新聞社に抗議 1
 昨日の「4.28政府式典に抗議する『屈辱の日』沖縄大会並びに宮古地区大会は、攻府式典と同時刻に開催、再び沖縄を切り捨てる政府式典に抗議する沖縄県民の意志を示した。

 大会前日(4月27日付の新聞一面に書かれた「行雲流水」の主張は、沖縄の歴史を歪曲し、大会ヘの恣意的な妨害ととれる内容である。貴社の新聞において、社説にかわる読者への主張ともいえるコラム欄において、「我が国の完全な主権回復」として行う政府式典には触れず沖縄が切り捨てられた日を「屈辱の日」として沖縄メディアがあおり、沖縄県議会の決議、抗議する県民大会に言及し否定することは、沖縄県民の心を踏みにじるものである。

「屈辱の日」実行委 宮古毎日新聞社に抗議 2
 沖縄戦で大きな犠牲を強いられた沖縄は、さらに1952年4月28日、サンフランシスコ議和条約の第3条よって日本から切り離された。沖縄は、日米地位協定によって、戦後も米国の施政権下で米軍基地が次々と拡大、さらに1972年の本土復掃後も基地は存在し過重な負担と米軍・軍属による事件・事故に苦しめられ、今なお治外法権の状態は続いている。

沖縄が切り捨てられた日を、「平和条約の発効による我が国の完全な主権回復」と明記して政府式典を開催することは、ニ度の沖縄切り捨てである。貴社紙面のコラムにおいて、「米箪基地問題は講和条約とは別の次元」とする主張は、誤った歴史認識である。

 ここに、貴社の「4.28政府式典に抗議する『屈辱の日』沖縄大会」に関し、県民の意思を冒涜する姿勢に強く抗議し謝罪を求めるとともに以下の質問について回答を求める。

  1. 米軍基地問題は講和条約とは別次元だとする根拠は何か
  2. 「日本国民としての心の落ち着き」とは、沖縄の現状において何をさすのか
  3. 「行雲流水」欄は貴社の主張や姿勢を責任を持って示すものか


5月10日までに実行委員会事務局までご回答ください。


「屈辱の日」実行委 宮古毎日新聞社に抗議|宮古テレビ
http://media.miyako-ma.jp/mtv/content/view/9236/57/

宮古毎日新聞社 行雲流水 2013年4月27日 の内容


宮古毎日新聞社 行雲流水 2013年4月26日
「屈辱の日」(行雲流水)
 「屈辱」とは、人格を否定され辱められることだ。そこからは憎しみしか生まれない。憎しみは時に暴力を伴う。「辱められた」との思いを持ち続けると心の落ち着きを無くしてしまうのである


▼沖縄県議会は、4月28日を「屈辱の日」と決め、県議会議長は「屈辱の日」県民大会の共同代表となった。沖縄メディアは「屈辱の日」をあおり立てる。まるでプロパガンダだ。県議会が県民大会に関与することはメディアにあおられてのことのようにも思える

▼1970年12月20日の深夜に起こった「コザ暴動」の記憶がよみがえる。日本復帰を目前にした反米闘争の頂点ともいえる事件であった。当時の沖縄の状況では起こるべきして起きた事件であったかもしれないが、事件の機序と社会的意味は解明されているのだろうか

▼1952年のサンフランシスコ講和条約締結を「屈辱だ」といまさらあおり立てる意図はどこにあるのだろうか。県議会議長、那覇市長、メディアが「屈辱の日」にこだわり講和条約を基地問題と一緒にしてしまうことは好ましいことには思えない。米軍基地問題は講和条約とは別の次元だと考えるからである

▼講和条約締結によって、日本は主権国家として国際社会に復帰したのであるが、琉球列島の統治・帰属をゆがめるものでもあったことは否めない。しかし、日本復帰40年になる今日、講和条約を「屈辱」だと高唱する沖縄は日本国民としての心の落ち着きをまだ持てないということなのか

▼沖縄の社会は祖国復帰前と同じ状況にあるのだろうか。「屈辱の日」県民大会開催には疑問と困惑がつのるだけだ。

引用元
「屈辱の日」(行雲流水)|宮古毎日新聞社
http://www.miyakomainichi.com/2013/04/48992/

宮古毎日新聞社からの回答


宮古毎日新聞社からの回答 2013-05-10

  1. 米軍基地問題は講和条約とは別次元だとする根拠は何か
  2. 「日本国民としての心の落ち着き」とは、沖縄の現状において何をさすのか
  3. 「行雲流水」欄は貴社の主張や姿勢を責任を持って示すものか

5/10(金)に、宮古毎日新聞社から宮古地区大会実行委員会にとどいた回答です。

  

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